一厘 ichirin

手仕事による和雑貨と、ぬくもりのライフスタイル

分業との決別。親子二代の挑戦(越前・土直漆器)前編

f:id:tatsumi10:20140523110150j:plain

 

 分業との決別

 

 漆器の生産工程は大きく分けて、木地(素地)、塗り、加飾(蒔絵・沈金など)の三段階がある。かつては地域ごとに、これらの各工程を家庭内手工業として分業させ、産地問屋がプロデューサーとなって生産管理、流通を取り仕切っていた。

 先に述べた良材の調達難もあって木地づくりの工程を産地ごとに独自で行うことは難しい。全国でも限られた産地だけが木地づくりに携わっているのが現状である。土直漆器をはじめ河和田全体でも多くの木地はよそから買っているが、それはある意味で正道といえる。1500年ほど時間を巻き戻してみよう。

 時は古墳時代。この地に腕のいい漆掻きと塗師がいることを聞きつけた皇室から冠の修理の依頼が舞い込む。自慢の漆を使いみごと修理を行っただけでなく、そこに黒塗りの椀を添えた。これを見て依頼主の皇子は感激することしきりであった。この依頼主はのちに第26代天皇として即位する。戦後、万世一系の歴史観を揺るがした議論の中心人物、継体天皇である。

 

f:id:tatsumi10:20140626194413j:plain

(継体天皇像・福井県福井市 wikipediaより抜粋)

 

 時代をぐっとたぐりよせて昭和28年。土直漆器の歴史はここから始まる。現会長の土田直さん、若干15歳。この年、越前漆器の塗師に弟子入りした。職人としての修行を経て、昭和37年に土直漆器店として独立。

 画期的だったのは、社内で木地製作をのぞく全工程の職人を丸抱えする一貫生産をめざしたこと。従来の分業体制では、上塗りを行う塗師が検品の役目も兼ねていたが、その段階で瑕疵を見つけたとしても、工程ごとに独立した職人が行っているため、その原因を辿るのは難しかった。けっきょくいつまでたっても改善が行われず、同じ問題がくり返される。

 土田直さんは土直漆器を創業するとき、こう決めていた。

 全工程の職人を会社で丸抱えしよう。

 会社による一貫生産・・分業という伝統的スタイルからの決別の試みは最初から順風満帆だったわけではない。それでも、品質を落とさず効率を上げるひたむきな努力をかさねてきた。業務用漆器という生き馬の目を抜くようなコスト意識の厳しい世界で生き残りをかけた日々だった。

 (後編につづく)

 

 

f:id:tatsumi10:20140523110813j:plain

上塗りをする土田直さん。現会長であり筆頭の塗師でもある。上塗りは検品を兼ねる。