一厘 ichirin

手仕事による和雑貨と、ぬくもりのライフスタイル

取材メモ(山中・鯖江)

漆に関して。

 

ため塗り・・

漆は内側から乾燥し、ウレタンは外側から乾燥する。

9.5部艶・・艶が少し引けた状態。この控え目さが漆の美しさ。

目止め・・すり漆(すりこむ)、ふき漆(ふきとる)

山中では、ケヤキが主。仕上げはすり漆。

飛びカンナ・・山中特有の加飾挽きのひとつ。「首がふれる」。組合のHPに動画あり。

1cmあたり13本の千筋。おそらくこれが限界値?

漆の研ぎ出しで最後の精度を出す。

風呂棚・・乾燥に使う。

蠟色塗り(ろいろぬり)・・炭で研ぐ。

端布(はたぬの)・・吉野紙の中にティッシュをはさみこむ。吉野紙は漆を濾すのにも使う。

山中の木地職人をたずねる〜中出博道さん

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作り手の個性ではない。挽き出すのは、木の個性。

 木地師は大きく分けて3つに分類される。

 薄く削いだ板を巧みに曲げて加工する曲物師(まげものし)、釘を使わずに木材の加工と組み方によって箱物をつくる指物師(さしものし)。3つめが、椀といった丸物木地を回転轆轤(ろくろ)で削り出すのが挽物木地師(ひきものきじし)で、山中の職人はこの分野で国内最高峰の技術を有する。特に「薄挽き」や「千筋」といった加飾挽き、つまり刃先の繊細な動きで実現する装飾的な削り方において独自の進化を遂げてきた。

 産地問屋の竹中社長に案内されて伺った渓谷沿いの工房で会ったのは中出博道さん。若手を育てるプロジェクトの指導的立場にいる現役の職人さんである。

「50代後半だったら、まだ若手ですよ。8割が65以上ですからね」

 漆器産業で全国でももっとも成功している山中でも、伝統的な技術の担い手は確実に高齢化が進んでいる。若手の育成はここでも大きな課題。職人としての忙しい仕事のあいまに、中出さんが技術継承に力を入れるのも危機感あってのことだ。

「でもね、みんなちょっと覚えるとすぐ作家になれると思ってるのか、地道な現場仕事をやりたがらないですね」

 せっかく育てても、なかなか地元に残ってくれないのだと、中出さんは笑った。

 世界でふたつとないオリジナリティーを追求するのが作家ならば、同じものを何百、何千と作る、いや、作れるのが職人。中出さんも作品として出品するものを挽くことはあるし、椀の裏に署名を入れることもある。しかし大半は無記名の椀を挽く。これらの椀の多くは絵付けなど華美な装飾が行われず、木目を生かす「拭き漆」という技法で素朴な風合いに仕上げられる。ガラスケースの中でなく、手にする人々の暮らしのなかで静かに輝く無名の椀たちだが、同じ顔をしているように見えて、縦木取りされた山中独自の美しい木目文様が織りなす表情はひとつひとつ違う。

 木の個性を引き出すことができれば、それが作り手の個性・・ちょっと言葉は違うが、当たり前に思えることを、当たり前のようにやる。それが職人なんだと中出さんは言っていたのかもしれない。

 

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川沿いの工房。

 山中の木地職人はいろいろな木の素材の中でもケヤキが好きだという。適度な硬さとしなやかさ、歪みに対する強さ、そして木目の美しさ。

「これが、いちばん山中らしいんじゃないですかね」

 渓流の音が聞こえそうな川沿いの路辻に建つ工房は二階建て。

 路地に面して小さな窓があり、轆轤を挽く中出さんの上半身が見える。窓から顔を出すと、ちょっと見にはトラックの運転手がバックをするために後ろを確認したような感じである。ここに器を挽く轆轤(ろくろ)が置かれている。

「足で(轆轤が回転する)スピードを調整するんですよ。ほら」

 そう言って足踏み式のペダルを操作し、力走と惰性を微妙に組み合わせて回転数を調整して見せてくれる。「クラッチみたいな感じ」という仕組みは、中出さんが工夫しながら改造してきた。どうりでトラック運転手に見えるわけである。

 

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中出さんの道具。

「もちろん自分で作りますよ。一本一本、微妙に刃先とか違います。親父も職人でしたけど、親父の刃ともぜんぜん違いましたね」

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 手が加減する。

使い込まれたカンナ台。轆轤の回転軸に対して横から削るため、腕をこの台に固定して微妙な手の動きをつくりだす。

足の操作による轆轤の回転スピードと、刃から伝わる木の感触。

「これはなんと言ったらいいのかな。手が勝手に手加減するっていうんですかね。理屈じゃなくて」

 薄挽きや、千筋といった繊細な技法を生み出す手は、コンマ数ミリを感じとるセンサーであり、それ自体が脳でもある。

 

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二階は材料を乾燥させる乾燥室になっていた。屋根裏部屋のような雰囲気で、どこか隠れ家のようでもある。しかし乾燥させるための部屋だけに室温が高く、立っているだけで汗がにじんできた。写真は一階に設置されたストーブ。熱気を二階に送り込む。

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動きますよ。

「木は)動きますよ。見ているあいだに、みるみる動くことだってあります」

  木は生きている。乾燥に応じて変形もする。挽く側としては木にはなるべく動いてほしくはない。そのため、「木を落ち着かせる」ための乾燥の工程が重要になる。

 材料を乾燥させていると、ぴーん、ぴーん、と音がするそうだ。乾燥に応じて木が変形し、運が悪いとヒビが入る。ぴしゃーん、という音がするほどだと、もう材料として使えない。

 轆轤を挽きながら、ぴしゃーん、という音が二階から聞こえると、ああ、割れたな、とがっくりくるそうだ。

 

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 ボンポラ風。

 「なんというか、へーんな南風の日ってあるじゃないですか」と中出さん。

 渓谷筋にできた盆地にある山中には、三方を山に囲まれ川沿いに南に開けた特殊な地形が生み出す独特の気候がある。「ボンポラ風」と呼ばれる南風は木地職人の天敵。ボンポラ風が吹く日は木が割れやすいのだという。

「そんな日はまず、あいくち、持たんですよ。まあ、持ったとしても、薄物は避けますね」

 今回の取材の案内人となっていただいた産地問屋の竹中社長が、あとで、おもしろいことをおしえてくれた。山名には東西南北の字に「出」の字を組み合わせた苗字がぜんぶあるという。「東出」「北出」といったふうに。それは東から出てきた、という意味なのか、東に出て行くという意味なのか、そこから先は研究中、と竹中社長は笑った。

 その話と木地職人の中出博道さんの苗字がつながったのは、翌日、山中を発ったあとの車中だった。雨に濡れ小さくなっていく山なみを見ながら、「中」に「出」る中出さんは、どこに出るのだろう。そういえば聞き忘れた質問があった。

 ボンポラ風が吹く日には、やっぱり温泉ですか?

木が、動く。(人間国宝・川北良造)

「木はいつまでたっても生きているんです。だから動く。でもあまり動くと、工芸品には向きません。木にすれば動くのは本質的なことなのに、人間さまのつごうで動かないでほしい、と相反することを要求しているわけです。木に対して申し訳ないと思います」

(川北良造(かわきた りょうぞう/人間国宝・轆轤挽き師)

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1mmに8本の線挽きはまさに人間国宝ならではの神業。

「漆を下塗りなしで12回塗ると千年使える漆器になります」

温泉が育んだ進取の精神・・山中のとりくみ

石川県には3つの漆器産地がある。

まず、思い浮かぶのは輪島塗りだろう。小学生のとき社会の資料集でその美しい漆器を目にした人も多いはずである。

次に兼六園をはじめとした加賀百万石の絢爛豪華なイメージの金沢。そのイメージと違わず、金沢は「蒔絵(まきえ)」という漆器への加飾、つまり、金粉や巧みな筆遣いを駆使した漆器の仕上げ技術が強みの産地である。

残るひとつは?

「山中」(やまなか)という地名がすぐには思い浮かばないかもしれない。しかし輪島、金沢に比べ、やや地味な印象の「木地の山中」こそ、今や全国一の生産額を誇り、国内のみならず世界に製品を送り届ける世界的な漆器のメッカなのだ。

 

総じて国内の伝統産業は厳しい状況にある。
ライフスタイルの変化による需要の減少、後継者不足・・。しかしそれだけではないようにも思う。伝統産業は「伝統」という由緒正しさをあまりに重んじすぎていなかったか。時代が変化しても、頑として変わらぬことが正しいという信念に縛られすぎてはいなかったか。誰も使わなくなった伝統工芸品があるとしたら、それは伝統技術に問題があるのではなく、その技術を現代のニーズに生かそうとする何かが足りなかったのではないか。

外に目を向ければ、皮革職人が守ってきた伝統技術をベースに気鋭のデザイナーを取り入れることで現代性を獲得し、世界的ブランドへと飛躍させたイタリアの工房などを見るに、日本の伝統産業でそのような例がないことが残念でならない。

 

そんな中、漆器という伝統芸に思い切った現代的解釈を取り入れ、数少ない成功事例として、引き続きたゆまぬ努力をつづけているのが山中である。

異業種・異分野の技術導入を臆せず、各社、各工房、各職人が進取の精神で切磋琢磨してこれたのは、進取の気性にあふれた土地柄というだけでなく、古くから国内代表格の湯治場であり、松尾芭蕉をはじめ、全国から有名無名、多種多様な人と情報が集まってきたという背景もあるかもしれない。

近年では、PET樹脂による給食食器市場への展開、フランスをはじめとした海外販路の開拓、環境という世界的な流れを取り込むバイオマス樹脂の導入など、その努力が止むことはない。

山深い温泉街が「JAPAN」に光明を灯す

英単語「JAPAN」のもうひとつの意味をご存じだろうか。なんと「漆器」である。

なぜ「JAPAN」が「漆器」なのか。「CHINA」が「陶器」を意味するのと同じように、英語圏の人たちにとって日本の漆芸の完成度はそうとうなインパクトをもって受け入れられ、明治期まで漆器は日本の重要な輸出品目だった。

そもそも漆芸は中国伝来といわれていたが、近年の研究により、最古のものは縄文時代、 12600年もの昔の漆芸品が出土している。DNA鑑定でそこに使われている漆は日本の固有種であることも解明され、世界最古の漆芸は日本であることが明らかになった。

漆という素材は、木が自らの傷を癒やすために出す液体で、いわば接着剤である。しかしこの接着剤は、現代科学をもってしても超えることのできない強力な塗膜を作る。しかし扱いが難しく、その能力を発揮させるためには高い技術と繊細な環境とが必要とされた。

気の遠くなるような長い歴史の中で磨き上げられてきた日本の漆芸だが、じつは今、存亡の危機にある。戦後に加速した日本人のライフスタイルの急速な変化によって、木をベースとした漆器の需要が激減したのである。日本の各地で発展した漆芸も現在では代表的な40ヶ所を数えるのみとなった。それらの産地でも多くは後継者難と需要減に悩まされている。

そんな中、長い歴史を持つ伝統技術を生かしつつ、現代的な解釈を施すことによって新たな光明を見いだした進取の産地がある。今や、全国一の生産量を誇る越前・山中だ。

漆器=木のベースという常識にとらわれず、工場での量産が可能な化学樹脂をベースに用い、漆の代わりに扱いやすく安価なウレタン塗装を導入したことで、合成漆器(近代漆器)という新しい突破口を生み出した。

今、日本のみならず世界で流行している弁当箱。生活雑貨専門店に行けば、まず入口近くにランチボックスコーナーがあり、若い女性をはじめとした人々が色とりどりの弁当箱や塗り箸を手に品定めをする姿を見ることができる。そんな売り場に気がついたら、足を止めて弁当箱の裏側をそっと見てほしい。「山中」という産地を目にすることができるはずだ。

そうそう、「BENTO」という語も、「SHINKANSEN」「MOTTAINAI」と並び世界共通語となっている。