一厘 ichirin

手仕事による和雑貨と、ぬくもりのライフスタイル

越前漆器・製作工程(2)下地

f:id:tatsumi10:20140523105844j:plain

 

 

布着せから、錆付け、そして錆固め

 

 業務用の漆器に求められるのはコストだけではない。要求される強度と耐久性は、一般家庭用の比ではない。構造的に弱い部分、ぶつけやすい部分、傷つきやすい部分には「布着せ」といって、麻布や寒冷紗を糊漆(のりうるし)で貼って補強する。これはいってみれば接着剤。

 次は「錆付け」と呼ばれる下地のメイン工程。糊漆はでんぷんと生漆を調合したものだが、錆び付けに使う「錆漆(さびうるし)」は砥粉(とのこ)と生漆(きうるし)のブレンド。

 まず錆漆を椀の形状に合わせて手作りした木べらで平らに塗りつけ、補強布の目地を埋めていく。乾燥と研ぎ出し、再度、錆び付け、乾燥、研ぎ出し。これを三回。

 錆固めは下地の最終工程で、生漆を全体に摺り込む。これでやっと下地のできあがり。

 

f:id:tatsumi10:20140523105345j:plain

 

 錆付けを行う木村さんは伝統工芸師の認定を受けたベテラン社員。伝統工芸師は大臣認定の国家資格として1974年に誕生した制度で、産地に居住し12年以上の職務経験が条件となっている。個人で伝統工芸師の認定を受ける職人さんがほとんどで、木村さんのように会社員としての取得はめずらしいという。

 写真で木村さんが手がけているのは、本来は補強のために部分的に施される布着せを装飾目的で椀の外側全体に施したもの。粗い布のもつ味わいを生かす繊細な錆付けの技術が求められる。

 

f:id:tatsumi10:20140523105912j:plainf:id:tatsumi10:20140523105954j:plain

f:id:tatsumi10:20140523105835j:plain

 

 

 

研ぎ出す。

 

上塗りをすれば見えなくなる下地。

しかし、なめらかな下地がなければ、滴らんばかりに艶やかな上塗りは得られない。

下地の美しさが、上塗りの色あいに幽邃な水底の深みを与える。

だから研ぐ。ひたすら、・・研ぐ。

 

f:id:tatsumi10:20140523112458j:plain

 

越前漆器・製作工程(1)木地固め

f:id:tatsumi10:20140523114324j:plain

 

 

へら削り。

 

塗りのすべてはここからはじまる。見習いさんが最初に習うのも、ここから。一日、何十本も、ひたすら削る。

 

f:id:tatsumi10:20140523114257j:plain

 

木べらは塗りの第一工程である「下地」に使う道具。

木べらに用いられる二レの木は、下地づくりに欠かせない適度な反発力としなりを持つ。追随しすぎてもいけないし、反発しすぎてもいけない。

なぜだか、二レの木はぴったりだ。

下地を施すお椀のかたちに合わせて、くる日もくる日も二レの木を削っているうちに、見習いさんたちは気づく。

なんだか自分のことみたいだ。

追随しすぎてもいけないし、反発しすぎてもいけない。

 

 

 

 「下地二年」とは言うものの....。

 

f:id:tatsumi10:20140523105759j:plain

 

「端布(はたぬの)」を使った「木固め」の作業をしていたのは、千葉生まれの前田智子さん。土直漆器のホームページを見て、はるばる門戸をたたいた情熱のひとだ。

 大学卒業後に東京でOLをしていた二年目、ふと思いたって京都で伝統工芸の学校に二年通い、さらに塗りで全国的に有名な輪島で三年修行。でも土直漆器に入って、まさか下地から出直しとは、なんて思ったことないですか?

塗りの仕事は奥が深くて・・」ときっぱり。「自分の思いだけではいい仕事ができないなあって、日々、感じてます」

 木固めは生漆を木地全体に摺り込むことで、表面のなめらかな強度の高い木地にする大事な工程。ここがしっかりできていないと、その後の工程に狂いが出てくる。業務用だけに強度に妥協はできない。まさに縁の下の力持ち。上塗りの美しさを引き出すのも、この土台あってこそ。

「毎日がこわいくらいに楽しくてしょうがないです」という前田さん。さいきんは、ときどき次のステップの中塗りもやらせてもらえるようになったそうだ。

 

f:id:tatsumi10:20140523105748j:plain

 

 

生漆と砥粉を混ぜて作る「錆漆(さびうるし)」。

生漆と澱粉のブレンドは「糊漆(のりうるし)」。

調合は日によって違う。

天気は? 気温は? 湿度は?

日々、漆の小さな声に耳を澄ます。

 

 

f:id:tatsumi10:20140523105233j:plain

f:id:tatsumi10:20140523105213j:plain

分業との決別。親子二代の挑戦(越前・土直漆器)前編

f:id:tatsumi10:20140523110150j:plain

 

 分業との決別

 

 漆器の生産工程は大きく分けて、木地(素地)、塗り、加飾(蒔絵・沈金など)の三段階がある。かつては地域ごとに、これらの各工程を家庭内手工業として分業させ、産地問屋がプロデューサーとなって生産管理、流通を取り仕切っていた。

 先に述べた良材の調達難もあって木地づくりの工程を産地ごとに独自で行うことは難しい。全国でも限られた産地だけが木地づくりに携わっているのが現状である。土直漆器をはじめ河和田全体でも多くの木地はよそから買っているが、それはある意味で正道といえる。1500年ほど時間を巻き戻してみよう。

 時は古墳時代。この地に腕のいい漆掻きと塗師がいることを聞きつけた皇室から冠の修理の依頼が舞い込む。自慢の漆を使いみごと修理を行っただけでなく、そこに黒塗りの椀を添えた。これを見て依頼主の皇子は感激することしきりであった。この依頼主はのちに第26代天皇として即位する。戦後、万世一系の歴史観を揺るがした議論の中心人物、継体天皇である。

 

f:id:tatsumi10:20140626194413j:plain

(継体天皇像・福井県福井市 wikipediaより抜粋)

 

 時代をぐっとたぐりよせて昭和28年。土直漆器の歴史はここから始まる。現会長の土田直さん、若干15歳。この年、越前漆器の塗師に弟子入りした。職人としての修行を経て、昭和37年に土直漆器店として独立。

 画期的だったのは、社内で木地製作をのぞく全工程の職人を丸抱えする一貫生産をめざしたこと。従来の分業体制では、上塗りを行う塗師が検品の役目も兼ねていたが、その段階で瑕疵を見つけたとしても、工程ごとに独立した職人が行っているため、その原因を辿るのは難しかった。けっきょくいつまでたっても改善が行われず、同じ問題がくり返される。

 土田直さんは土直漆器を創業するとき、こう決めていた。

 全工程の職人を会社で丸抱えしよう。

 会社による一貫生産・・分業という伝統的スタイルからの決別の試みは最初から順風満帆だったわけではない。それでも、品質を落とさず効率を上げるひたむきな努力をかさねてきた。業務用漆器という生き馬の目を抜くようなコスト意識の厳しい世界で生き残りをかけた日々だった。

 (後編につづく)

 

 

f:id:tatsumi10:20140523110813j:plain

上塗りをする土田直さん。現会長であり筆頭の塗師でもある。上塗りは検品を兼ねる。

業務用漆器という活路(福井県・越前漆器)

f:id:tatsumi10:20140523112050j:plain

 

 いにしえには日本を代表する輸出品であり「ジャパン」の訳語も与えられた伝統漆器だが、現代はまさに受難の時代といえる。ライフスタイルの変化による需要の低迷と、職人の高齢化、後継者難といった構造的な問題は根深い。

 多くの産地が今、存亡をかけて戦うなか、越前漆器の産地である福井県鯖江市・河和田でひとりの若き二代目経営者が地道な挑戦を行っていた。

 

 

 業務用漆器という活路

 輸入材に押されて良質の国産材は宝石のように入手しがたい存在になって久しい。良材が必須条件となる伝統漆器においては厳しい状況である。林業もまた担い手の高齢化と後継者不足、需要減といった構造的な問題に悩まされている点で伝統産業と変わらない。漆器が抱える問題は日本が抱える問題と同根といえる。

 さまざまな努力もなされている。木の代替素材として樹脂を用い、最新設備を整えた工場での大量生産も可能になった。現在、日常的に使われている漆器の多くはこのタイプのものである。従来の伝統漆器に対して、これら大量生産される漆器は近代漆器(合成漆器)と呼び区別される。

 安価で質のよい合成漆器が発展するにつれ、皮肉なことに伝統漆器の生き残る道はますます険しくなった。今や美術館の中にあるものと思われがちな伝統漆器だが、高度成長期に核家族化が急速に進むまでは日常生活の中でしっかり息づいていた。今、道具としての伝統漆器がかろうじて日常的に活躍している場は料亭や高級宿といった外食産業になろう。ここに狙いを定め業務用として全国8割以上の漆器を生産するまでに成長したのが、越前漆器の産地・河和田(かわだ)だ

 ここでも合成漆器の割合が圧倒的ながら、中には伝統漆器一本でその技術を守りつづけている会社がある。二代目として社業を引き継いだ土田直東さん率いる土直漆器である。

 

f:id:tatsumi10:20140523121200j:plain

越前・河和田の町なみ

 

 

>越前漆器共同組合オフィシャルサイト

>土直漆器オフィシャルサイト

弁当忘れても、傘忘れるな(石川県山中)

天気予報は晴れだった。

雨が降っている。山中温泉。

ときどき、ざあっと、旅館の部屋にいてもちょっと身構えてしまうほどの音を立てる。新緑の沢から立ちのぼるごうっという唸りとまじって渓谷に響き渡り、すさまじいことこの上ない。

 

「弁当忘れても、傘忘れるな」

 

弁当箱をはじめとする合成漆器の産地として国内筆頭の山中。山中漆器の職人さんたちへの取材で山中温泉入りしたわけだが、窓の外の雨を眺めながら、前日、木地職人に聞いた言葉を思い浮かべた。まさに「弁当忘れても、傘忘れるな」である。

そのぐらい雨が多い土地柄である。

 

f:id:tatsumi10:20140522155112j:plain

 

かつてこの場所は、日本海側の物流を担った北前舟の船頭さんたちの歓楽の場であり、湯治場だった。

どおんと稼いで、ぱあっと使い、ゆっくりと湯につかって次の船出にむけて英気を養う。そんな船頭たちの姿が目に浮かぶようだ。

 

ライバル心をもって技術の向上で研鑽しあっていた職人や、産地問屋も、みんなひとつになってひとつの湯につかる。

そんな不思議な風土が生み出した漆器は、伝統と現代性とが溶け合った、ちょっと不思議なものに見えてきた。