一厘 ichirin

手仕事による和雑貨と、ぬくもりのライフスタイル

木曽路はすべて山の中

f:id:tatsumi10:20130829104837j:plain

木曽路はすべて山の中である。

島崎藤村の『夜明け前』の有名な冒頭にあるように、日本アルプスを深く刻みながら南に流れる木曽川流域は、古くから良質な檜(ひのき)の産地であった。

 

南木曾(なぎそ)。

木曽川の流れに寄り添って南へと下る木曽路。現在は幹線国道(国道19号)となっており、大型トラックの長い列がつづく。ここも昭和後期にはスキー客を満載した観光バスでにぎわったこともあった。

よく見ると国道沿いにいくつもの漆器店や漆器工房がある。

やがて木曽川と国道は大きく西に進路を変え、旧街道とは分かれて県境へと向かう。街道の方は有名な妻籠宿を経て登り坂になっていく。現在の国道256号線である。

妻籠宿を過ぎると、中山道は国道から離れ県境の峠へと向かう。峠の先は馬籠宿。

中山道と別れた国道256号線は、清内路峠に向かってぐんぐんと標高を上げていく。

ここから清内路峠までの区間は工芸街道 と呼ばれ、日本三大美林にもあげられる木曽檜(きそひのき)を礎にした産業が細々と守られていた。

 

f:id:tatsumi10:20130917095121p:plain

 

工芸街道はトンネルをはさんで2つの区間に分けられる。

桧笠など、薄くへいだ桧材を編みこむ技を継承する蘭(あららぎ)地区と、木地師(きじし)の伝統を受け継ぐ漆畑地区である。

蘭では桧材が主役となるが、漆畑は必ずしも桧ではない。

古来、京の職人集団だった木地師が良材を求めて全国各地に散り、山渡りをしていくうちに住み着いた。漆畑もそのひとつである。

妻籠などの宿場とも、蘭のような集落からも離れ、清内路峠近くの厳しい山奥に土着した木地師たちは、話す言葉もどこか雅な京言葉の名残りを残しているという。