木曽路はすべて山の中
木曽路はすべて山の中である。
島崎藤村の『夜明け前』の有名な冒頭にあるように、日本アルプスを深く刻みながら南に流れる木曽川流域は、古くから良質な檜(ひのき)の産地であった。
南木曾(なぎそ)。
木曽川の流れに寄り添って南へと下る木曽路。現在は幹線国道(国道19号)となっており、大型トラックの長い列がつづく。ここも昭和後期にはスキー客を満載した観光バスでにぎわったこともあった。
よく見ると国道沿いにいくつもの漆器店や漆器工房がある。
やがて木曽川と国道は大きく西に進路を変え、旧街道とは分かれて県境へと向かう。街道の方は有名な妻籠宿を経て登り坂になっていく。現在の国道256号線である。
妻籠宿を過ぎると、中山道は国道から離れ県境の峠へと向かう。峠の先は馬籠宿。
中山道と別れた国道256号線は、清内路峠に向かってぐんぐんと標高を上げていく。
ここから清内路峠までの区間は工芸街道 と呼ばれ、日本三大美林にもあげられる木曽檜(きそひのき)を礎にした産業が細々と守られていた。
工芸街道はトンネルをはさんで2つの区間に分けられる。
桧笠など、薄くへいだ桧材を編みこむ技を継承する蘭(あららぎ)地区と、木地師(きじし)の伝統を受け継ぐ漆畑地区である。
蘭では桧材が主役となるが、漆畑は必ずしも桧ではない。
古来、京の職人集団だった木地師が良材を求めて全国各地に散り、山渡りをしていくうちに住み着いた。漆畑もそのひとつである。
妻籠などの宿場とも、蘭のような集落からも離れ、清内路峠近くの厳しい山奥に土着した木地師たちは、話す言葉もどこか雅な京言葉の名残りを残しているという。