一厘 ichirin

手仕事による和雑貨と、ぬくもりのライフスタイル

木地師の里「漆畑」へ

南木曾から木曽川支流の蘭川に沿って標高を上げていく国道256号線。

妻籠宿から先は旧中山道と分岐し、そこから先はめっきりクルマと人の気配が薄くなる。清内路峠に向かって標高を上げていくと、国道の左右に「工芸の里」の幟(のぼり)が風に揺れているのに気づく。

桧笠をはじめとする桧細工が盛んな蘭(あららぎ)地区である。

蘭地区を過ぎてさらに標高を上げていく。道は曲折し山深くなっていく。清内路トンネルが開通するまでは冬は通り抜けることのできない場所だ。

トンネルも間近になるころ、漆畑の集落にさしかかる。標高800m。こんな人里離れた山深くに、かつて良材を求めて山を渡り歩いてきた人々が住み着いた。

 

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集落の名前は漆畑。

木曾の言葉とも、伊那の言葉とも異なる歯切れのよい語り口を持つ人々。かつては近隣集落との縁組みさえも拒み、惟喬親王以来の轆轤(ろくろ)による技術と血統を1100年にわたり守り続けた。

今でも漆畑地区には、小椋、大蔵の氏姓を名乗る子孫が今に伝統技術を伝えている。

 

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中でも小椋さんといえば木地師の中でもひときわ存在感を放っている名工だ。
漆畑集落の中でも少し離れたところに、小椋商店はあった。
先代はすでに他界しているものの、ここの若おかみが先代の作品が展示されているギャラリーを案内してくれた。
 

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 確かに心に響く名品の数々である。
それは間違いない。
ただ、国分は言った。
「これはもう完全に完成しちゃってるね。ぼくらの出番じゃない」
伝統工芸。アート。ひとつ数万円の器。
それはすでに現代の中に自分の足場を、ひとつの世界を築きあげている。
一方、国分がめざしているものは、時代の移ろいとともに消えんとしている伝統技術を「産業」として生かすことだ。地元で後継者が増え生活を潤す。一部の名工だけが生き残るのではなく、地元の人々が生きる糧となる産業として掘り起こすことはできないか。
そのためには、誰もが手に取れる価格、使いやすさ、そして現代性。それをプロデュースし、発信できないかとつねづね国分は考えている。
伝統工芸はアートに甘んじていなかったか。文化としては残っても、産業としては消えかかっている。しかしどんな技術も、もとはといえば産業であり、生きる術だったはずだ。
自身が会津の蒔絵師という伝統工芸の花形家系に生まれ育ったゆえの国分の熱い思いがそこにある。
 
 
 
【参考】
 
小椋商店
 
日本木地師学会
 

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